コスモスの設立と教育
創立者・前理事長(故)戸村 静江
化学の教員から、
幼児教育の道へ
私が幼児教育を始めたのは、高校で化学の教員をしていた時に、ある場面に出会ったからです。授業で、化学現象に疑問を持ち、探求してくれることを生徒に望んで、いろいろと私なりに指導方法を考えたのにもかかわらず、なかなか意欲的に喰らいついてくれないなあと思っていました。そんな時に、幼い子が
「なぜなの?」
「どうしてなの?」
と母親に聞いているのに、母親は、「この子しつこい子ねぇ」とか「うるさいわねぇ」などと叱りつけている姿に出会ったのです。あー勿体ない、せっかく子どもが伸びようとしている芽を大人が摘んでしまう、と思いました。
コスモス幼稚園の創立
この場面に出会ってから、疑問を持ち伸びようとしている芽を大事に育てることはできないのか?いや育ててみたいという気持ちが湧いてきたのです。それからは、やもたてもたまらず周囲の協力を得て
コスモス幼稚園を
船橋市に創立しました。
このようにして、高校教諭が幼児教育の世界に飛び込んだのですが、《どうしたら幼児が疑問を持ち、科学の芽を伸ばすことができるのか?》という難問にぶつかりました。最初の3年間は、いろいろな、指導法を教師と共に考えて計画するものの暗中模索の状態でした。
ピアジェとの出会い
昭和45年6月に、京都の国際会館に於いてのピアジェ博士来日記念講演会に参加し、講演を聞いて、私が3年間悩み迷っていた方法が解明されたように思いました。それからは、ピアジェ理論やその指導方法の勉強を始め、その年の2学期9月からその指導法を取り入れました。今から思うに強引に取り入れたにもかかわらず、よくついて、一緒に勉強してくれたものだとその当時の教師には感謝しております。ピアジェ理論は難しく、なかなか理解できないのが当然なのですが、それでも幼児の指導に全力をつくして頑張ってくれていました。
モンテッソーリ教育法
との出会い
幼児は、各々の家庭環境や生まれ月などにより育ち方の差が激しく、そんななかでの指導の難しさを考えるようになりました。一人ひとりの成長の様子を見て、その子その子に合った指導をする事が、その子の持っている芽を伸ばすことなのではないか、と考えるようになったのです。昭和48年の海外研修会に加わり、ヨーロッパに普及されていたマリア・モンテッソーリの教育法を見学し、子どものそれぞれ持っている芽を伸ばし、創造性・自立心・自己訓練・自身などの可能性を最大限に開花させる教育の必要性を感じました。帰国後、前園長戸村和江が『国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター』にてモンテッソーリ教育理論の勉強をして、国際資格を取ることにより昭和51年度より幼稚園の指導に取り入れました。
当初は、3年保育のみ実施してきたのですが、その効果が見えてきたので、昭和55年度より2年保育にも自由保育中にホールで行いました。昭和59年からは各保育室で行い、昭和63年には、3年保育・2年保育の区別なく縦割保育と横割保育を組み入れてモンテッソーリ教育を実施し、やさしく思いやる心と科学する心を育んでおります。子どもが環境に自らかかわりながらそれぞれ育つように教師は援助し、子どもの考えや意見を取り入れ、子どもが自主的に活動するような環境を工夫するように教師に指導しております。平成2年から、文部省令により新教育要領が発足されましたが、登園の教育は、それ以前にモンテッソーリ教育を取り入れた時点から、環境を通して行う保育を実施しております。